作者プロフィール



津軽海渡 ( Tugaru Kaito )






【2001年11月20日 鎌倉市七里ガ浜にて】撮影
撮影カメラマン/酒井いちろう


 高校時代は郷里(津軽)の高校の新聞部にて写真を担当していた。
 当時は『全国最優秀高校新聞写真賞』を筆頭に、数多の写真賞を受賞。
 軍資金は全て三年続けた新聞配達のアルバイトにて調達し、自学自習で自宅に暗室を作り、銀塩カメラ(キャノンF-1/A-1)での撮影を楽しんでいた。

 高校卒業後は、親や教師や親戚など、多くの人々の期待を裏切り、カメラマンへの道を否定。
 写真は写真でも、活動写真(映画制作)の道を志し(『日本映画学校』に入学のため)上京。以後、映画に明け暮れ、銀塩写真から完全に遠ざかる。

 いい映画を作るには、まずいい脚本作りだ!との信念から、19歳から台本を書き始め、その修練が実り、1991年、シナリオライターとして『石原プロモーション』を通じプロデビュー。
 あの渡哲也が私が書いた拙い台詞を話した時、歓喜の泪が溢れた。
 以後、主にテレビドラマの脚本や、テレビゲームの脚本などを手がける。

 2000年5月に、初めてのデジタルカメラ『Canon IXY-DIGITAL』を購入したことをきっかけに、再び写真の魅力に憑かれ、撮影を始める。
 2001月7月に『IXY-DIGITAL200』を購入するまで、旧型『IXY-DIGITAL』で撮影した写真の枚数は、約50,000枚以上にものぼる。2000年の10月より、その一部をHP(右のURLを参照)で公開を始めた。

 2001年7月、『IXY-DIGITAL200』と共に、『ミノルタ DiMAGE7』を購入。
 2001年12月になり、やっと念願だったレンズ交換式一眼レフデジカメ、『Canon EOS 1D』をテレビゲームで稼いだ印税にて購入。

 私の信条は、買ったカメラをとことん愛し使いこなし、まだまだ欠点が多いデジタルカメラの限界に挑戦すこと。
 しかし、逆にそれは自らの腕の限界を自覚するきっかけでもあったように思う。(TT)

 右脳と左脳を酷使し、写真撮影と文章を書くことが何よりも大好きな変わった人間だと自分でも感じている。
職業 文筆業/フリーライター
【日本脚本家連盟会員】
【日本放送作家協会会員】

住所 現在は神奈川県相模原市相模大野に在住

仕事
【テレビドラマ】

『代表取締役刑事』
(テレビ朝日/石原プロ)

『ネオ・ドラマ』
(テレビ朝日/ニューテレス)

『ルージュの伝言』
(TBS/テレパック)

花王愛の劇場『お見合いの達人』
(TBS/テレパック)

花王愛の劇場『ママは大ピンチ!!』
(TBS/テレパック)
など

【映画】

『かっ鳶吾郎』(KSS)
など

【ゲーム】

『ゼルダの伝説(GB)』

『バウンティー・ハンター・サラ(発売未定)』
など


 URL:http://members.jcom.home.ne.jp/tugaru/
 e-mail:writer@tugaru-kaito.com
 (正式URL):http://www.tugaru-kaito.com/


津軽海渡はもちろんハンドル名ですが、私が18歳まで生まれ育ったのが津軽(青森県弘前市)であることと、父母の祖先が共に津軽初代藩主・津軽為信の家臣であったことから、この名を付けました。

世界遺産の白神山地を西に置き、言わずと知れたりんごが名産の自然豊かな津軽は、まだまだ素朴な風景が、県名にもなった美しい“青い森”と共に残る地方です。

元来ペーパードライバーであるゆえ、撮影に利用する交通手段は、もっぱら電車とバス、そしてママチャリであり、特に自転車が使えない冬場は、一日20キロも歩き、相当苦労して撮影を続けていたりする。